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東京高等裁判所 昭和51年(う)955号 判決 1976年11月15日

被告人 駒崎正雄

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁錮六月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人久保田昭夫及び徳住堅治共同作成の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一について。

論旨は要するに、(一)被害者湯山賢治運転の足踏自転車(以下湯山車という。)は、終始被告人運転の大型貨物自動車(以下被告人車という。)の死角内にあり、被告人としては、停車時、発進時及び左折進行時のいずれの段階においても湯山車を発見することは不可能であつたものであり、(二)かりに被告人が予め湯山車を発見していたとしても、本件事故は湯山車が左折進行中の被告人車の直前を急に右折し道路を横断しようとしたために生じたのであるから、被告人としては本件衝突の結果を回避することは不可能であつたものである。したがつて、被告人にはなんら過失はないのに、原判決が判例に違反して被告人に過大な注意義務を課し、被告人の過失を認定したのは事実を誤認し、ひいては法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。

そこで検討すると、原判決挙示の証拠を総合すれば、以下の事実が認められる。昭和五〇年三月八日午後五時二五分ころ、被告人車は西武新宿線のすぐ北側をほぼ東西に通ずる車道幅員約九メートルの道路(その南側に防護柵によつて画された幅員約一・一メートルの歩道が設けられている。)を西進し、原判示の西武新宿線上井草二号踏切を横断するため左折しようとしたのであるが、同所は右の道路と北方の石神井公園方面から同踏切を経て青梅街道方面にほぼ南北に通ずる幅員約一〇メートルの道路とがT字型に交わる交差点となつており、折から踏切の遮断機が閉じていたので、被告人車は右交差点の入口付近で一時停止することになつたが、被告人車は車幅が二・五メートル、車長が八・八六メートルあつて、その構造上左側端に寄ると左折して踏切内に入ることができないため、その左側の防護柵との間に一メートルないし一・五メートルの間隔を置き、車首をわずかに左に向けた状態で停止した。被告人車はそのままの状態で約四〇秒ないし五〇秒停止し、遮断機の開くのを待つていたが、その間被告人はとくに左サイドミラーによつて自車の左後方の歩車道に対する注意をしなかつた。他方、そのころ中山淳(当時一〇歳)及び湯山賢治(同七歳)の二人が、足踏自転車に乗り、中山を先頭にして石神井公園方面から踏切を横断するため右交差点に入り、停止している被告人車の後方を回つて前記歩道に入り、踏切の入口左側付近に前後して停止し、遮断機の開くのを待つていた。被告人は右のように停止してから約二〇秒ないし三〇秒後に自車運転席の左窓から前記地点に停止した中山の姿(身体上部)を認めたが、その後方に停止した湯山車は死角内に入り、被告人はその存在に気付かなかつたため、中山のほかには被告人車の左側を併進して右踏切を横断する軽車両はないと思い、遮断機が開くや直ちに発進し、時速一〇ないし一五キロメートルの速度で大回りに左折して踏切内に入り、約五・五メートル進入したが車体がまだ完全に左折を終らないうちに、がちやがちやという金属性の音が聞こえたので直ちに停止したが、すでに被告人車の左前輪が倒れた湯山賢治の身体を轢圧していた。同人は、原判示のとおり、右事故により同日死亡した。なお、被告人車の左側及び前方には司法警察員作成の昭和五〇年三月一〇日付実況見分調書、徳住弁護人作成の実況見分調書各記載のとおりかなり広範囲に亘る死角が存在するが、左サイドミラーにより、被告人車後部付近は約三・三メートル左側の部分まで視認が可能であり、被告人は平素から自車に右のような死角があることを熟知していたものと認められる。また、本件衝突地点は、踏切内の道路左端から三・五五メートル中央寄りの地点であるから、湯山車がかなり中央に寄つて走行していたことは認められるが、本件当日湯山賢治は、中山淳と共に右道路を直進する予定で同人に追従しており、事故の直前中山淳がバツクミラーによつて湯山の姿を確認したときも、同人は踏切内を直進していたのであるから、所論にかんがみ検討しても、その後同人が急に被告人車の直前を横断しようとしたものとは認められない。

右認定の事実によつて考察すると、発進後における被告人車と湯山車の相互の位置関係が明確ではなく、したがつて被告人が左折を開始してからサイドミラー等を注視することによつて湯山車の存在を事前に捕捉し得たことについては必ずしも充分な証明があつたとはいえない。しかし、死角の大きい大型自動車を運転する者にはそれに相応した注意義務が要求されるというべきであり、被告人は平素から自車の左側部分に相当大きな死角が存することを熟知していたのであり、しかも本件においては停止時間が四〇秒ないし五〇秒に及んでいたのであるから、その間に後方から軽車両等が被告人車の左側の歩道又は車道に進入し、その死角にかくれることは十分に予想されるところであり、現に本件の場合、児童である中山淳の自転車が被告人車の停止中被告人車前部左側付近に停止したのを被告人は運転席左窓を通して直接視認しているのであるから、その後方の被告人車の死角にあたる部分に別の自転車等がかくれているかも知れないことが予想される状況にあつたものといわなければならない。したがつて、運転助手を同乗させていない本件のような場合には、運転者は一時停止中原則として絶えず左サイドミラーを注視して後方から来る軽車両ないし歩行者が死角にかくれる以前にこれを捕捉すべきであり、又は少くとも右のような具体的状況に照らし左側の死角内に他の自転車等の存在が予想されるときは、発進の直前に運転席の左側に寄り窓から首を出すなどして死角内の安全確認をする業務上の注意義務があると認めるのが相当であり、このような安全確認によつて自転車を発見したときは、これとの接触、衝突を回避するため適宜の措置(例えば自転車を先に発進させ、これを視界内におき、徐行する。)をとりつつ発進、左折すべきであるといわなければならない。所論の挙げる最高裁判所の判例(昭和四五年三月三一日第三小法廷判決、刑集二四巻三号九二頁)の事案は、死角の大きさ、停止時間、被害車両の速度等において本件と著しく事案を異にし、本件には適切でない。そして、原判決が「被告人車の左側から踏切を横断する軽車両もしくは歩行者の存在を予測して左サイドミラー、フロントミラーによる確認を十分にするなどこれに対する注意を厳にし、(中略)左折進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、」と判示しているのも、措辞若干不充分とはいえ、右と同趣旨と認められる。また、右事実によれば、湯山車は所論(二)のように被告人車の直前を右折横断しようとしたものではなく、踏切内を概ね直進していたものであり、被告人が前記注意義務を遵守していれば湯山車を事前に発見することができ、本件事故の結果は回避することができたと認められる。そうすると、本件における過失は被告人が前記の安全確認義務を怠つたことにあるというべきであるから、原判決が右以外の点をも含めて本件の過失を認定したことは誤りといわなければならないが、右の誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるとはいえない。なお、本件の場合、被害者は僅か七歳の児童であり、被告人が発進前安全確認義務を尽くしていればその被害者を発見することができたのであるから、所論の挙げる最高裁判所の判例(昭和四六年六月二五日第二小法廷判決、刑集二五巻四号六五五頁)の示すいわゆる信頼の原則は本件に妥当しない。

したがつて、原判決には所論の事実誤認ないし法令の解釈適用の誤りはなく、趣旨は理由がない。

控訴趣意第二について。

論旨は原判決の量刑不当を主張するものである。

そこで記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討すると、本件は被告人が大型貨物自動車を運転して交差点を左折し踏切内に進入するにあたり、左側歩車道の安全確認を怠り、小学一年生の自転車に自車を衝突させて同人を死亡させた事案で、結果が重大であること、被告人には昭和四五年に業務上過失傷害罪により罰金刑に処せられた前科があること、当然のことながら遺族の被害感情が強く、原判決当時被害弁償が全くされていなかつたことなどの諸点から考えると、原判決の量刑も首肯できないわけではない。しかし、他面本件において湯山車は停車中の被告人車の後方を回つてその左側に入り込み、被告人車と併進する関係にあるのに道路の左側端に寄らないで進行しており、本件の結果は被害者のこのように不適切な運転方法にも起因していることが認められるので、被告人にとつて若干不運な面もあつたこと、被害感情が硬化しているため示談が未成立であるとはいえ、被告人及び勤務先の会社に誠意がないわけではなく、原判決後自賠責保険金は被害者の遺族に支払われていること、被告人は永年貨物自動車の運転手として勤務している者であるが、交通違反により処罰されたことがなく、平素乱暴な運転をしている者とは認められないことなどを含む本件の罪質、態様、結果、被告人の年令、性格、経歴、前科、事故後の状況等諸般の情状を総合すると、原判決の量刑(禁錮一〇月執行猶予三年)は刑期において若干重きに過ぎるものと認められる。論旨は理由がある。

よつて刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書により被告事件につき次のとおり判決する。

原判決の確定した事実に原判決挙示の法条を適用して得た処断刑の範囲内で被告人を禁錮六月に処し、刑法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項本文を適用してその全部を被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小野慶二 齋藤昭 小泉祐康)

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